(承前3/30)
昨年の初回入院の少し前、自院の信頼する外科医に施行してもらった内視鏡検査で頚部食道に見るも無惨な病変を確認した。
ちょうど1年前には、彼に東京初〆サバによるアニサキスを取ってもらったのだが。
今回は硬く変質した食道壁からバイオプシーのサンプルを採ってもらうことになった。
尊敬する病理部長の、これ以上ない迅速な診断を得てSquamous cell Carcinomaが確定した。ステージはⅢb〜Ⅳaだ。
PET-CT、造影CTの結果、遠隔転移はなさそうだ。
人生は一変した。が、存外に呆然とはしなかった。(鈍感力の由縁であるか?)
それよりも、色々なものが削げ落ちてゆくことを感じた。
先ず、「余計な感情」がスッと抜け落ちて行く感があった。
何だと思われるだろうか。
「うらみ、つらみ」である。
自分では、この手のエモーションというのはそれほど厚くない方だと思っていたのだが、気付いてみると「あの野郎、あのときあんなこと言いやがって」とか、「あいつ、あのとき裏切りやがって」とか、けっこう根に持つタイプだったと悟った。
それが自分の内側で、次々とチャラになっていった。
もう、そんなことに拘っている暇はないのだ。
人生、あてどのないマラソンから、急にすぐそこにゴールラインを引かれた100メートル走に切り替えられたようなものだ。
無駄な情感に浸っている暇はない。
次に「夢と展望」が抜け落ちた。
治療の効、無効によって予後に違いはあるだろうが、診断確定時の病期による5年生存率など基本的なデータは揃っている。
最早、長期的展望に立って物事を考えることは出来ない。儚い夢を持つこともないのだ。
だが、落ち込むことはない。ここでかつて西部邁氏が若者の人生相談に答えた一節を思い出した。「自分には夢がない」と問う若者に対して西部氏は「僕は一度も夢なんか持ったことはない。それよりもなにか人の役に立つことはないか考えよ」と諭す。
よし! これならまだ出来る。
「一日一善」昔の人はいい言葉を残したものだ。
西部氏もまた、いい問答を残してくれたものだ。著者によると全て酒場での即興即答であるとのことだが。
この感覚は、初回入院の1st chemotherapyの間、そして退院後の休薬期間と変わりなく続いた。