69歳になりました。数え年で祝う、所謂「古希」です。
2018年の誕生日は、ちょうど大患を得て、ほとんど声を失い、嚥下もままならない時期でした。
5年が経ち、今思うことは、特段なことではありませんが、「あと10年ほど、(80歳になる頃まで)働きたい」ということです。

何か、世の中に貢献できることはないか、それで身の程の収入が得られればよし、ということです。

今、かなり大きい規模の組織の中で、急性期医療の只中で働いていますが、このポジションは速やかに後進に譲ります。

組織にとって、自分が在ることの利よりも、在ることによる弊害が勝る(かも知れぬ)、ということは常に意識します。

これからしばらくの時間は、「次の10年、如何に世の中の役に立つ仕事が少しでもできるか、少しずつ体力と脳力の衰えを実感しながらも、働き方をシフトしながら余生を過ごせるか」を模索することになるでしょう。

これが私にとっての、真の「働き方改革」です。

大患から、丸5年生き延びたことに感謝しつつ、古希の感想のようなものを記しました。

3year survivor

昨年(2021年)11月の諸検査でCR(complete response)維持という結果を得て、3year survivorの仲間入りをした。

Chemo(Cisplatinum+Docetaxel+5FU)、続いてFP(5FU+Cisplatinum)Rx(Radiation 60gray)を経てCRに入って丸3年ということだ。

この間、世はコロナ禍に見舞われ、想像だにしなかったSocial distanceの世の中を迎えた。

胸部食道Ca(StageⅣa)の診断を得た2018年からつけ始めた「ほぼ日」5年手帳は、今年2022年で5年目になる。2018年春の嗄声の記録に始まる、日々の記載は短い病状記録だが、貴重なものとなった。

ブログを始めた当初は、「この日々の病状記録、治療の記録は、着実に記していこう」と誓ったものだが、元来のぐうたらと筆不精で、開店休業状態であった。

CR3年を機に、心新たに再開しよう。
Oncologyとウイルス学、ワクチン学の進歩に感謝しつつ。

都知事選

都知事選、おおかたの予想通り現職の圧勝。

この時節、止むを得ない。

しかし、私如きの戦後政治史に関する知識の中でも、これほど野党が力を失った時期はないと思う。

言うまでもなく、最強の野党は民主党政権時の自民党だが。

55年体制下の社会党は、水面下でのことを色々言われるが、民衆の中に一定のうねりを作る力はあったし、政権党の政策決定に一定の影響を与える力があった。

小選挙区制が続く限り、打開は難しいのか。

今の野党は、野党時代の自民党(谷垣総裁のもと)がどのようであったか見直すべし。

久しぶりの記載が、Aequanimitasとは関連なさげな政治ものになってしまった。

2年前のFB 初心忘れず

久々のブログだ。
他の方のブログを読んだり、Twitterを読んだりでインプットは結構しているのだが、アウトプットしなければインプットも増えて行かない。

Facebookは過去のその日の投稿を自動的に引き出してくれる。自分にとってはありがたい機能のひとつだ。
2年前の今日書いた記事をここに再掲しておこう。
内科レジデント募集の記事だが、今年のものと勘違いされると困るのでFBには掲げず、ここにコピーする。
自分で言うのもおこがましいが、闘志あふれる文章だ。
その後、病を得て光陰は矢の如く過ぎた。
長い見通しは立たぬが、ここに記した初心は変わらぬ。
この道を行く。
行けばわかるさ、、と誰かが言ってたな。
you tubeで「キドクラッチ」を観たら、テンション上がって久々に書けた。
(ここはわかる人にしかわからない)
以下がその2年前の一文です。

(2017.10.19 Facebookより)
板橋中央総合病院レジデント募集のアナウンスです。
当院では、2018年度の内科専攻医(後期研修医)を募集しています。
当院は、首都圏を中心に色々なタイプの医療施設を持つ医療法人「imsグループ」に属しています。
当院の内科研修プログラムのコンセプトは「動ける内科医」を育てることです。
「急変時に動ける」のはもちろんのこと、「災害時に動ける」 「病院という壁を超えて動ける」「国境を越えて動ける」「医療という枠を超えて動ける」そして「人生を自由に動ける」ことです。
<プログラムの特徴>
① 総合診療内科、救急科を中心に幅広く多彩な症例を経験することができます。
② 内科専攻医はチームで診療に当たりますが、各診療科から経験豊富な上級医が直接指導に当たります。
③ 毎朝の総診・救急部カンファレンスには、総診指導医のみならず、呼吸器・腎臓・神経・消化器・循環器・整形各領域の指導医が随時参加します。
④ 毎朝のラウンドはチーム医師に加え看護師、PT、薬剤師、MSWが参加し多職種で行ないます。
⑤ 毎月のGrand Roundsには色々な領域のトップランナーを招きセミナーを行います。
⑥ 医療安全、感染制御に力を入れ、将来リーダーとしてチームをマネジできるよう研鑽します。
*総合診療内科部長は、在米14年、セントルイスのワシントン大でHospitalist部門設立の中心メンバーであり、ピッツバーグICUでも指導的立場にあった加藤良太朗先生です。
私(粟屋)も呼吸器・総診掛け持ちでお世話をします。
加藤先生と二人三脚で「総合医と専門医のコラボレーション」を身を以て実現していくつもりです。
将来、Generalistとして歩もうとする人、得意領域のSpecialistとして歩もうとする人、医療以外の領域の研究者たちと協力して医療イノベーションに挑む人、世界に向かって羽ばたく人、
多彩な志を持った人々に集っていただけると嬉しいです。
是非ご連絡ください。見学に来てみて下さい。
*当院のプログラム(後期研修医枠10名)は日本専門医機構二次審査を通過しています。
また、当院では初期研修医・内科後期研修医の指導に当たる熱きスタッフを募集しております。
診療の傍ら、後輩たちの指導育成に情熱を注がれる方、是非ご一報ください。
総合診療内科、救急科いずれかの所属で研修指導に当たり、我々とともに国内で類を見ない新たな卒後教育プログラムを育てていきましょう。

江國滋さん、戸塚洋二さんの記録

畏友T君に大切な用件で会うため、半日年休を取り福岡に向かっている。

車中、江國滋氏の「おい癌め 酌みかはさうぜ 秋の酒」と戸塚洋二氏の「がんと闘った科学者の記録」を読んでいる。

私は今年6月1日のFacebookに、このblogを転載し、かつ下記のように追記した。

 

「65歳になりました。生涯で最も大切なものを得た1年でした。これを患者さんたちに還元して行くことが、これからの使命でしょう。この1年、”Few more Months"と唱えながらやってきました。今日は”One more Year"と唱えます。」

 

実はこのFew more Monthsという言葉は戸塚洋二氏のblogのタイトルでもあるのだ。

戸塚先生が優れぬ体調のなか残された「治療経過」「人生」「教育」「科学政策」「奥飛騨」などのカテゴリー別の日々の明晰・濃密な記録を読み、江國氏の俳人・滋酔郎としての苦悶の中にも飄々たる面目を失わない闘病記を読むと、果たして自分など、この駄文をつらつらと思い出したように書き継いで行く意味などあるのかと自問してしまう。

だが江國氏の闘病記が1997年、戸塚氏のblogが2007年、そして今2019年と、ほぼ10年ずつの間隔をおいてその抗がん治療の実態を記してみると、その間のoncologyの進歩(病態解析と治療学の)は目を見張るものであることがわかる。

両先輩には比べるべくもない小生だが、やはり恩返しのつもりで、恥ずかしながら拙文を記して行こう。

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