子規「病牀六尺」のことなど

昨年の手帳を見返すと6月29日〜7月5日、1回目の入院とある。入院初日午後から早速DCF(Docetaxel+Cisplatinum+5FU)開始。あれよあれよと思う間に持続点滴のルート確保、輸液ポンプがセットされ、行動半径はベッド周りに限られた。

子規「病牀六尺」を思い出す。

そういえば、前項で触れた戸塚洋二さんのブログの中に、子規の「悟るということは、いかなる場合にも平気で死んで行くことと思っていたが、そうではなかった。悟るとは、いかなる状況でも平気で生きていることだ」という意の文章が引用されていた。

戸塚先生は「これだよな!」と我が意を得たそうだ。

私も、なるほど、と感じた記憶があるし、今も変わらない。

 

病棟での担当のI先生から「1回目のケモの効果が間に合わない場合、挿管呼吸管理した上でも、1回目のレジュメは完遂したいと思います。その際は院内の気管支鏡チームに依頼します。よろしいでしょうか?」という簡潔にして明解な説明があった。直立不動という言葉がピッタリの意を決した姿での言葉であり、一も二もなく「もちろん結構です。お願いします。」と、おそらくは息子と同世代のI先生に答えた。

外来で説明を受けた内科、外科各々の主治医の先生からの説明、そして病棟での若き担当医からの説明を聴き、「このチームに命預けます」の意は固まった。

不思議なもので、その肚が括れると、「人生の中で時間的にもフィジカルにも死に最も近づいているかもしれない瞬間」であっても、心は落ち着きを取り戻すものだ。

生涯初めての持続点滴のルートを眺めながら、振り返って窓外のスカイツリーを眺めながら、「静かな部屋だ。なに読もかな」などとぼんやり考えていた。

 

内科医の端くれでもあるので、ケモセラピーに伴う色々な副作用は想像の中にあり「いったいどんなやつが襲って来るのやら」と備えていたが、意外にも恙無く輸液は進み、2日も経つと、入院前に極期に達していた嚥下困難は劇的に改善し、「なんだかノドの滑りが良くなったな」と実感したものだ。
おそらくは初日13mgあまり入っていたデキサメサゾン(ステロイド剤)の効果で周辺の浮腫が取れたせいかも、などと愚考する。

記念に撮っておこうと、スマホで「自撮り」を試みるも、慣れないのでうまく行かず、所謂「変顔」みたいになるのであきらめた。が、室内洗面台の大きな鏡に映る自分の姿をそのまま撮ってみると、「自撮り」像よりも遥かに画質もよく美しい(?)自画像が撮れたので、これを保存することにした。
いいチームに担当していただいたおかげで、なにかしら安穏としたスタートが切れた昨年梅雨時であった。

 

少しずつ「ほぼ日5年手帳」を辿りながら、記録して行こう。